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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

「カラス」と「メタボ」の品格

 みなさんご存知の童謡に、次の一節があります。

からす なぜ啼くの からすは山に
かわいい七つの 子があるからよ~

 この一節は、あながち作り話とはいえません。カラスは、巣での育雛を終えてヒナが巣立ちをした後も、数か月は家族で行動をともにするからです。知能の高い鳥ですから、ヒナの学習にも時間をかけるのでしょうか。

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 「慈烏反哺」(じうはんぽ。または「慈烏孝鳥」)という四字熟語。
 これは中国・梁(502~557年)の武帝由来の言葉で、「カラスの子は親に育てられた恩返しに、成長してから食物を口移しにして親を養うこと」という意味だそうです。『鳥の名前』(東京書籍、2003年)の著者・大橋弘一氏によれば、「実際はこのような行動はなく、巣立ち頃の雛は身体が親と同じくらいに大きいので生じた誤解ではないか」とか。
 しかし、東京の三多摩地域で野鳥観察を続けている人に、「老いて飛びにくくなった状態のカラスに餌を運んでやる、別のカラスがいるのを観察した」という話をうかがったことがあります。結局、これが老カラスの子どもの「親孝行」と確認されたわけではありませんから、真偽は定かではありません。

 確かなことは、古来、日本人にとってカラスは「吉兆の鳥」だったことです。日本サッカー協会のシンボルマークは、世界遺産である熊野三山の「神の御使い」として有名な、「八咫烏(やたがらす)」をデザイン化したものです。ほかにも、尾張熱田神宮や安芸厳島神社をはじめ、全国で700~800の神社に「神の御使い」として祀られているそうです。
 私は登山のとき、山深いところでひっそりと佇む一匹のハシボソガラスによく出会いますが、実際、その姿は理屈抜きにカッコいい。都会のカラスと同じ種であるにもかかわらず、山中のカラスは群れることもなく、また、めったに「カー、カー」と啼きません。何やら神々しく、まるで「哲学者」の気品さえ漂わせているように感じてきました。

 今や、都会のカラスは「嫌われもの」の筆頭株みたいな存在ですが、そのような位置に追いやったのは人間です。つまり、都会の人間が惜しみなく残飯を捨てるようになったためで、決してカラスの責任によるものではありません。ゴルフの最中に邪魔をされたことが「トラウマ」になり、税金で「捕獲作戦」をしたり、「カラスの肉を材料にしたミートパイを東京名物にすればよかった」などと言うのも人間の身勝手そのもので、日本史上に輝くカラスの品格を侮辱するようなものではないかと思います。

 さて、七福神は日本人になじみの深い神々ですね。この七福神の画や人形の類は、みんなお腹のたるんだ姿形をしています。そう、今言うなら「メタボ」そのもの。恐らく古の時代には、年老いて体型が「ふっくら」していることこそ、豊かさの象徴としての品格を表現するものだったのでしょう。現代医学が指摘する「メタボ」の問題克服は大切な課題だと思います。でも、齢を重ねた年代の暮らしと人間の豊かさの証でもあった「ふっくらさ」について、その生活文化的な品格を貶めるようなことは決してあってはならないと感じます。

 私は、高齢期における庶民の長寿と暮らしのゆとりへの願いが、七福神の「ふっくらさ」に込められてきたのだと考えています。


コメント


 はじめまして!
 たった今、「からす~」「さっちゃんはね~」などと子どもに子守唄を唄いながら(必死に睡魔と闘い)ようやく寝かしつけたところです。
 子どもが生まれてから、何年と唄っていなかった童謡を口ずさむようになり、夕方になると決まってこの唄を唄っています。子どもをもったからなのか、カラスのお母さんの気持ちが、温かくもあり寂しくもあり、心にふっと感じる瞬間がありました。この唄独特のこの感情…何なのでしょうね。
 先生のブログを読みながら、身勝手な現代の人間が自らカラスを『嫌われ者』にしてしまったことを気づかされました。カラスはずっと昔から人間の身近なそして吉兆な鳥として存在していたとのこと。『知らない』ということは恐ろしいことです(カラスさごめんなさい)。
 私たちは今の私たちの基準であらゆる物事を判断しています。その物事の見方が本当に正しいのかも判断せずに。立ち止まって考えず「知らない」ことで、多くの判断を間違い、そのことにより多くの他者を傷つけているのでしょう。
 世の中のいろいろなことを知り、様々な角度から見ることができれば、もっと豊かな人生、社会になるような気がしています。 
 心豊かで、いろいろなことに興味を持ち、感動できる母であり女性でありたい!と思います。明日からまたちょっと違った「からす~」が唄えそうです。
 ちなみに夫のメタボちゃんも豊かな存在に思えてきました…不思議!


投稿者: ラビ太 | 2008年11月19日 23:08

 はじめまして。
 カラスが親の介護をするというのは真実かどうかはわかっていない様ですが、いい話だと思います。
 私はこのブログを読んで落語の三枚起請という話を思い出しました。起請というのは、吉原の女の人が馴染みの客に書いた「年期が明けたらあなたのものになります」という約束の手紙のようなもので、熊野の神社から貰った紙に書くのが決まりになっていた様です。
 この約束を破ると熊野のカラスが三羽死ぬと言われていて、カラスというのは神の使いとされていた訳で、大変罰当たりな行為とされていたのです。
 この話の落ちは、三人に起請を書いて約束を破った女の人が、熊野でカラスが九羽死ぬと言われて、「それならもっと起請を書いておけば良かった、そうすれば朝寝が出来るのに」というものです。
 現代ではこの落ちに同意してしまう人がたくさんいるかもしれませんね。
 カラスやメタボなど認識というものは時代と共に変化してしまうのですね。
 福祉に対する認識はより良くなってほしいものです。


投稿者: SOGO | 2008年11月24日 18:23

 はじめまして。
 老いたカラスに別のカラスがえさを運んでいたという話はすごく面白いと思いました。以前の記事に書かれていたツバメの話もそうですが、「自分の家族でもない者であっても、困っているならばそれを助ける」という行動を動物がしているのに(この書き方は動物に失礼かもしれませんが)、最近の人間社会にはこのような助け合いが減ってきているというのには何か不思議な感じがしました。
 また、カラスとメタボの品格のお話ですが、カラスもふっくら体型もそのもの自体は何も変わってはいないのに、「神の御使い」から「嫌われもの」へ、「豊かさの象徴」から「メタボ」へと時代が流れるにつれてネガティブな見方をしていく人間というのは、なんとも自分に都合の良い生き物であるのだなと感じます。
 今の時代に好意的に捉えられ持て囃されている物事の中には、時代が流れれば悪として捉えられるようになる物も出てくるのだろうなと思いました。


投稿者: はとまめ | 2008年11月28日 01:05

 はじめまして、おはようございます。

 私はこのお話にとても興味をそそられました。私は、カラスが嫌われるのはカラスが悪いからだとずっと思っていました。しかしそれは自分を、もしくは人間を主とした考え方にすぎなかったのです。今の世の中は、「いかに人間が暮らしやすくするにはどうしたらよいか」という考え方が前提にあると思います。こうした考えから人間が作り出したものの影響により他の動物は苦しんでいるにもかかわらず、人間はその動物を自分たちの生活を邪魔するものとして嫌っているのです。しかし、本当に生活を邪魔されているのはその動物のほうなのです。
 また、「ふっくらさ」への考え方も時代背景に大きく影響しているのだなと思いました。今豊かな暮らしが出来る日本では食べるものに困ることがないためメタボと言われるようになったのでしょう。
 人間の豊かさはあらゆるものの品格を悪いものに変えていったのだなと思いました。これから先、邪魔物とされていくのは何でしょう。「ある昆虫」「ある魚」もしかすると「ある人間」…私は、とても不安になりました。
 


投稿者: みー | 2008年12月02日 10:19

 宗澤さんのブログを読んでいると今まで一面的にしか捉えていなかった事柄を多面的に見ることができるので「なるほど!」と思うことが多々あります。今回の記事も、カラスとメタボに品格?とわくわくしながら読ませて頂きました。
 確かに、カラスとメタボは現代においては、ほぼマイナスのイメージしかないですね。カラスはゴミを漁って散らかすから迷惑な存在だし、メタボはだらしない!そう私も思っていました。ですが、そういう観念を持つ原因は私たちにあるのですね。カラスがゴミを漁るのは、人間によって自然が破壊されて食料が減ったことが原因だと考えられるし、メタボをだらしないと思うのは、現代の日本が飽食であり食べ物が満ちたり過ぎているので豊かさ=ふっくらではなくなった結果ではないかと気づかされました。
 人間は一度つくったイメージや地位や品格を、自分の都合が悪くなるとすぐにそれを否定し、また新たにその時代のスタンダードを作ろうとしてしまうのだと思います。そして、気づかないうちにみんながそれに乗っている……こう考えると少し恐ろしいです。


投稿者: あじのもと | 2008年12月11日 13:55

私はカラスが好きだ。
黒い鳥、と言って思い当たるのはカラス。
私の好きな色は黒。
黒という色に、人によっては邪悪さや不気味さを感じるでしょうが、私は何にも染まらない強さを感じる。
カラスは強い。人間の仕掛ける罠も知恵を用いて回避して、勝手な人間だらけの都会で、自分の力で生きている。
あの生ゴミをあさる時のギラリとした瞳に、人間を見下す気高さを感じる時、私は無意識下に彼らを悪者の位置に追いやった人間の罪を感じているのだろう。
カラスよ、黒く生きてくれ。


投稿者: 老人 | 2010年07月28日 13:00

 老いたカラスに別のカラスが餌をはこんであげる、というお話を読み例えそれが真実でなくとも良い話だな、と思いました。反対により知能が高いはずの人間社会でそういった心温まる助け合いが減っているように思われるのが残念に思われましたが。
 「カラス」と「メタボ」の認識の変化に関しては大変おもしろい着眼点だと思いました。「カラス」の方に関しては神話が有名ですし、私自信も見た目は滅多にない黒一色で美しいのにマイナス感情で見られる一方というのはもったいないな、と思っていましたが、「メタボ」に関しては考えたことがありませんでした。
 確かに七福神を見た時のあの安心感のようなものは「ふっくらさ」からきているのかもしれません。現代のように油っぽい食事に偏ったことによる肥満ではなく、昔は人生を生き抜いた年長者が幸せや心の豊かさからなる肥満があったのでしょう。
 しかし人間の物事に対する認識の変化というのは恐ろしいものがあると思います。きっと「カラス」や「メタボ」以外にも時代の流れや環境の変化により人間が良いものから悪いものへと認識を変えていったものがあるのでしょう。
 仕方がない面もあるのかもしれませんがそれは少し悲しいことのように思えました。反対に悪いものから良いものへと認識が改められたものがたくさんあれば良いと思います。


投稿者: すがる | 2010年12月25日 23:29

 旧来、日本人は自然を非常に身近なものとして受け止めてきました。自然に対する畏怖と共に敬愛も抱き、ある種の関係性を築いていたと言えるのではないでしょうか?

 しかしながら、いつからか西洋的な支配し、管理するものとして自然を見るようになってしまったという気がします。その上で現れたのが「あばれザル」であり「人殺し熊」であり「残飯荒らしのカラス」といった見方なのでしょう。結局自然と対立的な関係を作ってしまったのは人間であり、その事自体は反省すべきと思います。しかし我々は人類という一つの種である以上、ある程度人類の目線にたった考え方をするのも致し方ないという気もします。しかし、このような他種に対する排他性、無理解は人類の中のマイノリティたる障害者であったり、同性愛者にたいする無理解に繋がっていると私は考えます。

 昔はそのような障害者に対する差別がなかったかといえばそれは嘘になるでしょう。しかし、現代の障害者に対する認識は言ってしまえば「保護動物」に似たものがあることは否めません。結局はそれは障害者にたいする管理であり、彼らの孤立は深くなる物と私は考えます。

 その表象が「良い事」としてあるだけにこの問題は気付かれにくいものなのかもしれません


投稿者: RCR | 2011年06月29日 23:38

私自身もカラスにつつかれた思い出があるのであまりいい印象は持っていません。ただそれは人間が偉いわけではないことを意味しているのだとも思います。
小さく弱い人間の子どもはカラスよりも下、弱肉強食の自然界の中で捕食される位置にあるのだと、カラスは教えてくれた気がします。
人間は常に人間が一番偉いとしか考えられません。カラスの唄が童謡にあるように、昔はカラスも心優しい存在であり、それが人間の目に留まったのかもしれません。七福神は日本古来の神様像、それに対しメタボというのは最近アメリカから入ってきた考えです。日本とアメリカの文化、もともと違うものなのですからかみ合うはずがありません。たしかに七福神のふっくらした姿からは幸せがうかがえます。
女性の間ではやせていることこそ美しいという考えから過度のダイエットなどから拒食症のような摂食障害に陥る人も少なくありません。ふっくらした人はメタボであり悪なのか、幸せからのふっくら名r少しくらい許されてもいいのではないかと思ってしまいました。


投稿者: 栗 | 2012年04月26日 12:18

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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