保育所を利用して(1)
働きながらの子育てを支える社会資源として、保育所は大きな役割を果たしてきました。私も、娘を育てるさなかに利用した保育所の皆さんには、さまざまな意味でご支援いただいたことを実感しています。
今から18年前のことです。当時保育所は措置制度の時代でしたから、まずは市役所へ利用申請書を提出に行きました。そのとき、市役所の職員から意外な言葉が出てきました。
「0歳児ですか。すると今年は、使いたい保育所を選択できると思います。ご希望の保育所をしっかりと記入しておいてください。0才児の出生数が少ないためです」
措置制度の時代でも、利用定員にゆとりがあれば選択の自由はありました。利用契約制でも、自己決定・自己選択の権利が保障されるというのは、社会資源に選択の幅とゆとりがあってこその話だと思います。
そこで、通勤と買い物の便を考えて希望した意中の保育所に、7か月の娘を通わせるることになりました。通園初日のことです。背中にはオムツやよだれかけ等の入ったリュックを、前にはだっこ紐で娘を抱えたいでたちで、保育所に歩いて向かいました。
途中の道は、通学の中高生たちがぞろぞろと群れをなして歩いている通学路。ちょうど私の目指す方向とすれ違うかたちになるので、ぶつからないように前方をよく見ながら歩いていました。
私のお腹から首にかけては抱っこ紐でくっついている娘がいますから、私は足元がよく見えません。すれ違う中高生に気をとられていたこともありますが、前方からぞろぞろと歩いてくるので、路面の状態を前もって見通すこともできなかったのです。やがて私は、道路が陥没して穴の開いているところへ右足を突っ込んでしまい、よろけたところをとっさに後ろ向きに倒れました。前にいる娘をかばうためです。
背中のリュックがクッションになったおかげで大事には至りませんでした。ただ、いささか気が動転していたのか、すぐには立ち上がれずにいるところを、通りすがりのご婦人が手を差し出して、立ち上がるのを助けてくださったのです。
ぞろぞろ歩いていた中高生たちには、そのありさまをクスクス笑って見られていたことを覚えています。「ぶざまなオジサン」に見えたのかも知れません。その時周りにいた若い人たちに、私の気持ちをぎりぎりのところで言えば、「こんなときくらい助けてくれよ」とまでは言いません(本当は、思いっきり叫びたい)が、せめて「オジサンの哀愁」を感じてほしかった。嗚呼
コメント
哀愁、痛いほど感じます。
素敵なパパを持って、娘さんは幸せですね。
私も子育て時代を切なく、懐かしく思い出しました。
パパをされてること、素敵な記憶だと思います!
子育てと福祉の現場…共通? 自分に子供ができ福祉の現場で働く日々は慌しく気持ちにゆとりがないまま 毎日が戦争
早く大きくならないかと心待ちにし過ごしたものですが今となっては‘あのときが一番楽しかった!’のかなあ~
先生の子育て、親育ちの話を楽しみにしています
毎週のブログの更新、快調に進んでいますね。今週は子育てのお話ですが、我が家の24歳になる一人娘は、昨晩ひとり暮らし宣言をいたしました。
今から去ることウン十年前、私もどれだけひとり暮らしにあこがれたか! 障害者支援の現場でほとんど給料ももらえなかった時代、貧乏ゆえに夢は果たせず、結婚という形で親からの自立をはかりました。
娘のひとり暮らし宣言をちょっぴりさびしい思いと、実はかなりうらやましい思いで聞いていました。
3歳までに十分親孝行してくれた娘の独立を応援しようと思っています。
毎週のブログの更新,楽しみにしています.
保育施設の空き待ちが多い今の時代、そういったゆとりのある時期が来ることが本当に待ち遠しいものだと思います。女性の社会進出が進み両親共働きの家庭も少なくないはずです。
国が急遽として認可した保育施設に比べると、やはりしっかりと設備も整った保育所を望むのも無理はありません。昔は見なかったように思いますが、最近ではスーツを着た会社帰りの父親が保育施設に迎えに行ったついでに子どもをつれてスーパーで買い物をする姿など、見るようになった気がします。
小さい子どもを前に抱っこした状態で、さらに背中に荷物を背負って歩くのはとても大変なことだと思います。けれどもしその転んだ人が子供づれの男性ではなく女性だったら、中高生は声をかけたのでは、と私は想像してしまいました。
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