利用者主体の「笑顔」
「利用者主体」という言葉は現在、福祉の世界で当たり前のように使われています。都市部の自治体でも、地域住民を相手に「お客様」と呼び習わすことが定着してきました。
私が高校生のときに読んだ筒井康隆氏の小説には未来のお役所の姿が描かれ、役場の職員が「税金を払っていただいている住民のみなさまに、とことんサービスしちゃう」という下りがありました。それでは、SF小説に描かれた時代がやってきたのかというと、あたり前ですがそうではありません。
ここで、福祉の世界を少し離れて考えてみましょう。
たとえば、顧客第一主義のファーストフード店の繁忙時。店に入ればすぐに出会う「いらっしゃいませ、こんにちは」の明るい声に笑顔。でも、こころなしか眼はうつろ。さらに、飛行機に搭乗した際にお目にかかるキャビンアテンダントの笑顔。でもそれは、たとえ文句と注文の多い客を前にしても「みなさまにご満足いただけるように」トレーニングされ、コントロールされた「笑顔」かもしれません…。
このような思いが一瞬胸を過ぎるのは、私だけではないでしょう。
サービスが本当に「利用者主体」になっていると、同時にそのサービスを提供するために働いている人たちも、利用者と同じ地平に立ち「サービス提供者としての主体」になっているのではないでしょうか。利用者が満足するときは、サービス提供者も満足します。料金やサービス内容で折り合いがつかないときには、両者に不満が残ります。そのようにして、両者が喜怒哀楽をともにする中で、より良いサービスがつくられるのです。前回書いた植村牧場で働く人たちの姿にも、それが豊かに表わされています。
けれども、あたりを見渡してみると、サービスの提供側の人には「笑顔で明るく」ばかりが目立つようになってきているように思われます。これは、行き過ぎた商業主義に由来する、管理された「強迫的な笑顔」です。ですから、一日中「強迫的な笑顔をふりまく」仕事をしてきた人たちは、もうぐったり。
福祉の仕事は、喜怒哀楽のある暮らしの中での支援です。むろん、支援者にふさわしい感情や情緒のコントロールは必要です。しかし少なくとも、福祉の仕事や職場には「強迫的な笑顔」は不必要だと思いませんか。
コメント
大変興味深く読ませていただきました。
私も同感です。‘不必要な笑顔’に接してゾッとした経験もありますし、また、「必要以上の笑顔」で保護者や子どもたちに接しようとしてグッタリ疲れた経験もしているからです。
人間らしくお互いが心地よく感じられる接し方を心がけていきたいものだと、改めて感じさせられました。
今後ともブログ楽しみに読ませていただきます。
私も現在のアルバイトはサービス業に分類されるものです。やはり、人に接するということから、
笑顔もしくは愛想のよさ、というものは必要になります。しかし、疲れているときや心に余裕がない時、そういった時にはどうしても機械的に顔の表情を変えるだけになります。
恐らく、多くのサービスを受ける方はこういった、形だけの笑顔というのはすぐにわかると思います。
本当の笑顔というのは、顔だけが笑っているのではなく、周りの雰囲気まで暖かなものにすると思うからです。まがい物は、やはりまがい物なのです。
大事なのは、必要以上に作りこまないことだと思います。人間ですから、毎日心から笑顔でいることは不可能です。しかし、それでも今の状況で最も相手を心地よくさせる接し方をしなくてはいけないと思います。先生も仰っているように、気持のコントロールは必要ですが、それが作りこまれていては本当に相手と向き合っていないということになるのではないかと思います。
今後は無理なく自分の感情をコントロールして、人間として付き合っていきたいと思います。
こんにちは。初めてブログ拝見させていただきました。
「強迫的な笑顔」は世の中のいたるところに溢れているなって改めて感じました。福祉の世界も「資本主義・自由経済」の流れにしっかりと組み込まれてしまって、「福祉のサービス」というより、むしろ、「商業サービス」に移行していってしまっているのではないかと、恐ろしい気持ちになりました。
「利用者主体」っていったい何だろう。その言葉自体に少し疑問を覚えます。どちらかが主体なのではなく、どちらもが主体となって、良い環境を共に創りあげていくことが、本来求められるべきことなのですよね。現在の「利用者主体」という言葉は「お客様第一主義」的な意味を大きく含んでいるようにも思われます。
こうして考えていくと「サービス」って難しいなって思います。行き過ぎると、どうしてもどちらかが主体になってしまう。
これから本当の意味での「サービス」って何だろうって考えていこうと思います。そして、「福祉のサービス」についても、自分なりの考えを持つことが出来れば良いなと思います。
サービス業の笑顔に私も疑問を感じたことがあります。
私自身も接客のアルバイトを経験したことがありますが、お客さんに笑顔を常に向けていなければならないことに正直疲れを感じていました。気分が乗らないときにでも笑顔、お客さんから苦情を受けたときにでも笑顔で対応しなければならないときもあります。笑顔ってこういうときに使用するものでしょうか。
宗澤先生がおっしゃるように、福祉の世界では喜怒哀楽が混在しています。だからこそ本来の人間らしさを感じ、心から利用者と関わることができ、その中での笑顔こそが本当の自分の笑顔であると思いました。
実習で保育所に行ったときの子どもたちの表情は、まさに喜怒哀楽で、自分の素直な気持ちを率直に表し、その子どもたちの気持ちに保育士の方が応えるという背景がありました。
この関係は、福祉の世界ではどこにでも存在し得るのではないでしょうか。またこの関係こそが、利用者主体につながっていくのではないかと思いました。
利用者が安心して自分の意見を述べ、その気持ちに福祉に携わる人やサービスが応える。しかし、一方通行の気持ちではなく互いが納得できるまで悩み、考えていくことが大切なことだと思いました。その中で生まれる喜怒哀楽はきっと素直な自分の気持ちが表れていると思います。
人間味のない事務的で、言葉や行動が伴わない笑顔には、何の温かみも感じられず、かえって嫌な気分になってしまうことがよくあります。そのような中では、サービスを受ける側もする側も疲れきってしまうでしょうね。
社会の多様なニーズに応えるために見落としてならないのが、サービスを受ける側の意志や気持ちです。ただしサービスする側が一方的に想像、判断するのではなく、される側の意志や気持ちを考慮していきながら、双方の満足度を高めていくことだと思います。
しかし、福祉の実情は国費を削られ従事者は疲弊しています。福祉現場の労働条件はますます厳しくなり、従事者は減少、利用者の重度化、高齢化が進行する中、利用者とゆっくり向き合える時間は不足がちです。そのような中では双方の満足度を高めていくのはとても難しいのではないでしょうか。
最後に強調したいのは、福祉の世界に顧客第一主義、奉仕精神が定着するのは、利用者にとっては選択肢が増え、質の良いサービスを受けることにつながり、決してマイナスではないということです。
双方の満足度を高めていくためには、サービス提供者がゆとりと自信をもって、利用者と向き合えるような制度的支援が早急に必要だと考えます。
こんにちは。はじめてコメントします。
確かに、サービス提供者の笑顔に、「強迫的な笑顔」を感じることが私もあります。
どう考えても、笑いたくて笑っているのではないことがわかってしまう。そんな時は、利用者のために向けられた笑顔が、なんだか不快に思えてきます。
利用者により良いサービスを提供するために、そして満足してもらうために、笑顔でいることももちろん大事なことだと思います。だけどその笑顔が強制されたものだったら、利用者も提供者もスッキリしない気持ちになってしまいますよね。
無理に笑顔を作るのではなく、人間らしく接することで自然に生まれる笑顔こそが、サービス業で求められる笑顔なのではないかと思います。相手をよく見て、どんなサービスを望んでいるのかを考えながら接していくことで、お互いが満足のできるサービスとなるのだと思います。
今後、私がサービス業に従事するときには、人間らしく相手と向かい合っていきたいなと思います。
こんにちは。このブログを読んで、ハッとしました。
以前ケーキ屋さんに立ち寄ったときに、30代くらいの店員さんがいて、「いらっしゃいませ」というときはニコニコ(不自然なニコニコを)しているのですが、後ろをむいた瞬間ムスっとした顔をしたり、他の店員さんを鋭い目で見ていました。
これを見て私は、二度とそこには行かなくなったのですが、私だけではなく、他にも同じ理由でそのケーキ屋さんに行かないという人がいました。本当の笑顔か作られた笑顔かは、すぐにわかってしまいます。利用者主体の笑顔って、本当は自分のための笑顔なのではないでしょうか。「会社から笑顔で接客しろといわれているから」とか「お客さんからのクレームを早く処理するため」とかそんな気がします。
何かの本で読んだのですが、一流のホテルには、必ずお客さんと世間話をしているホテルマンがいるそうです。サービスの神髄ってこういうことなんじゃないかなと思います。事務的な笑顔で仕事をこなすのならロボットでいいと思います。
福祉の世界でもそれ以外でも、喜怒哀楽を共にして、人間らしいあったかいサービスが増えるといいなと思います。
こんにちは、初めてコメントさせて頂きます。
私は今大学生です。アルバイトで、サービス業をしている私にとって、努力する気持ちと笑顔は必需品だと思います。
授業が多い時、ストレスを溜まる時、仕事をすると、やる気もないし、笑顔も出たくないことは誰でもあると私は思います。
例えば、レストランに食事をしている時、元気がなさそうな顔をしている店員さんを見たら、料理はいくら美味しくても、気持ちが悪くなります。二回目はここに行きたくないと思います。
私は無理に笑顔を作る時があります。けれども、利用者さんから「ありがとう」、「優しいね」と声をかけてもらった時は、この仕事で良かったと思える瞬間です。
私は人に喜んでもらうのが好きなので、将来、介護福祉士になって人が笑顔になる仕事をしたいかなと思っています。技術さえつけば仕事はできると思っていましたが、利用者さんとのコミュニケーションの大切を実感します。
保育サービスでも、福祉サービスでも、色んなサービス業では、サービス提供者は、利用者のニーズに合わせサービスの基本条件を満たした上で、創意工夫により多種多様なサービスを提供する必要があります。
窓口やレジなど一人ひとりの客と接する時間が短い仕事は、その一瞬の接客で店の印象が決まるのだと思います。だから、より強く明るさや利用しやすさを印象付けるため、そのような笑顔になってしまうのではないでしょうか。
しかし、福祉や看護などの職種は、一人の客と長く深く付き合うものです。ブログでも書かれているとおり、無理に笑顔を作られるより自然に接してもらったほうが、働き手と客の間でより良い関係を作り上げることができる、と私も思います。
サービス業の笑顔について考えさせられました。私は接客中心にアルバイトをしているので、「常に笑顔でいることを忘れないように」と日々言われています。
しかし、普段生活する上では何時間も常に笑顔でいることなどそれほどなく、自分でも気付かないうちに意識的にかつ機械的に笑顔を作っていることになるんだなぁと思いました。
実際、相手に気持ちよく過ごしてもらえるといいなと思いながら接客をする笑顔と、自然と出る笑顔では、笑っている顔が同じようで全く違うと気付くことがあります。
そんな時には、自然と出る笑顔に近い笑顔を作ろうと思うのですが、それこそ商業主義に偏った考えから生まれるもので厚かましく感じられているのではないでしょうか。
福祉の仕事は、他のサービス業よりずば抜けて生活に密着しています。支援者に笑顔を強迫すれば、相互ともに心情が読み取れず、心からの信頼関係もなかなか築いていけないのではないかと思います。
やはり利用者に心地よくサービスを受けてもらうために努力することは大事ですが、完璧な笑顔でなくても、人間味あるサービスを提供するということが温かいサービスと感じられるのだろうと思いました。
ブログを拝見しました。
私が何かサービスを利用するときでもあちこちで見かけるのですが、やはり記事のような『強迫的な笑顔』というのは怖いです。
無理な笑顔は、それだけで『あなたはお客様だけど、こっちはこんなに愛想よくしているんだから面倒なこと頼まないでよね』という、一種の『脅迫的な笑顔』にも受け取れてしまいます。或いは、とりあえずこれしておけばなんとかなる、といったような仮面(能面?)にも見えます。
私もサービス業に従事していたことがあるのですが、やはり笑顔は大切です。しかしながら、笑顔をすることだけが目的ではないと思います。相手の希望に沿った、喜んでもらえたという事実があり、自然と笑顔になるということこそが本来の笑顔だと思います。
福祉サービスはそのまま利用者の人生の、生活の幸せに直結します。そういう意味では、画一的なサービスでなく、多種多様なサービス、気遣いが必要だと思います。商業主義的な世界では難しいかもしれませんが、福祉に関するサービスにおいては、利用者の笑顔とともに提供者の『自然な笑顔』が溢れればいいと感じました。
ブログ拝見させていただきました。はじめてコメントします。
僕は大学生で、今2つめのアルバイトしています。以前勤めていたところも今勤めているところも、どちらもサービス業で、仕事内容はほぼ同じです。が、職場環境は対極にあるといってもいい位異なるものです。
以前の職場は、資本主義を鏡にうつしたようなもので、接客は利用者第一。出勤前にはミーティングが行われ、笑顔のトレーニングをしてから仕事にのぞみます。まさに笑顔を脅迫される環境でした。僕は人見知りなところがあり、誰にでも愛想よく接するのは苦手です。そのため注意されることも多く窮屈さを感じやめてしまいました。
それとは反対に、今の勤め先では、接客に関してそれほどうるさくはありません。簡単に言ってしまえば適当です。そのため、仕事をしているときも笑顔を作ったりすることはありません。
それにもかかわらず、お客さんの反応は変わりなく、むしろ店員対人ではなく、人対人で接している気さえします。アルバイトではなく、就職している人の目には甘い考え方と映るかもしれませんが、あなたのために何でもしますという従業員よりも、ひとりの人として利用者に向き合うほうが、より温かいサービスを提供できると僕は考えました。
ある程度の感情のコントロールは必要ですが、それは仕事以外で人と接するときにも自然に行っていることです。人対人の仕事である福祉にこそ人として自然に接するという姿勢が必要だと思いました。
「利用者が満足するとサービス提供者も満足する」というのはとてもよくわかります。
どこに行っても、接客業の方は笑顔を振りまいています。私自身接客業を経験したことがあるのでわかるのですが、笑顔でいることをサービス提供者自身も強要されている節があります。
その貼り付けられた笑顔は、時に明らかに誤った場面ですらそのままです(例えば、クレーム等の対応)。不審でしかありません。
利用者とサービス提供者の関係である前に人と人の関係であることを考えると、相手と自分との感情の交換・共有がなされなければ、どちらにもモヤモヤとした気持ちが残ってしまうことは当然です。利用者の笑顔で満足のいくサービスが出来たことを知り、自分も自然と笑顔になる。そして再びより良いサービスを提供する。というサイクルが望ましいと思います。
殊に福祉サービスは、人と人との関係がより密であり、信頼関係が重要になってくる場面です。生活の中に入り込むことも多いでしょう。サービス、満足、笑顔というサイクルが自然に生まれるといいなあと思いました。
こんにちは、初めてコメントをさせていただきます。
私は大学生で、アルバイトをしているのですが、その中で笑顔を強制されることはこれまでありませんでした。にも関わらず、いつも無理矢理に笑顔をつくってしまいます。笑顔でいないといけない、という思い込み(?)があるので、指示されなくとも笑顔だったのです。お客さまに褒められたり、満足していただけるとこちらも自然に笑顔になるのですが…。
実際はクレームをつけられないために笑顔でいることが多い状況です。接客業をしている限りは、笑顔は少々無理矢理なものでも必須のものだと、世間的にも妥当なものだと思われていますし、笑顔でいないとクレームものだと私自身思っています。こう文章にしてみると、その「笑顔」が本当に無機質なものだと気付かされます。でも、もうクセになってしまっているんでしょうね、悲しいです。
しかし、福祉の場面で「強迫的な笑顔」は不要だと思います。サービス業で仕事だからと割り切って笑顔で接するより、多少無愛想でも、親身になって話を聞いてくれるほうが、求められているのでは?と思います。その中で自然にお互いが笑顔になれたら、素敵なことだと思います。
はじめまして。コメント失礼します。
記事の中で、福祉の主体は利用者だけではなく、「両者が喜怒哀楽を共にする中で、よりよいサービスが作られる」という点が印象に残りました。
サービス業全般において、利用者主体は優先されているものなのかもしれません。実際、私は接客のアルバイトをしていたとき、「お客様に悪い印象を与えてはいけない、だから笑顔でいなければ…」という一種の脅迫めいた意識を持っていたように思います。しかし、とりわけ利用者の生活環境に深く長く関わる福祉の分野で求められるのは、機械的・マニュアル的でない「人対人」ならではのサービスだと感じます。
利用者に接する時間が長いほど、その生活スタイルやニーズを理解するまでには時間がかかるでしょう。また、時間をかけるということは、利用者と提供者の間に信頼が築かれないと、不満が残るサービスになってしまいます。提供者が「笑顔でいなければ」「よく思ってもらわなければ」という意識にとらわれながら接するより、長く続くことをふまえて互いの理解に努めることが福祉の分野には必要だと思います。
初めてブログ拝見させていただきました。
私は大学生です。私のアルバイトは居酒屋でほとんど接客を行っていますので「サービス業の笑顔」の文章を読んだ時はドキッとしました。やはり、笑顔で接客をしなければと思っているので、どんな時にも笑顔を忘れないよう心がけています。なので、その日の自分の体調や気分で笑顔が引きつったり、出ないことがあります。自分では笑顔を作っているつもりでも、お客様にとっては「作り笑顔」捉えて、逆に不快な思いをさせてしまうこともあるのだなと感じました。自分では気付かず「強迫的な笑顔」を振りまいていたのだろうかと、とても反省しています。その時々に合わせた「表情」が大切なんだと気付くことができました。「機械」と話しているわけではなく、私は「人」と接しているんだと肝に銘じておかなければならないと思いました。
福祉の現場は人と接することがとても多いので、気をつけなくては利用者の方に満足のいくサービスをすることはできないと感じました。
場面に合わせて喜怒哀楽を出すこともとても大切なことなのだと学びました。
こんにちは。
ブログ拝見させていただきました。
「強迫的な笑顔」、私自身もそう感じたことがあり、自分もそれをしてしまっているのではと感じました。私もアルバイトで接客をしているのですが、指導されなくても、そうするのが当たり前だと思い込んで無意識に笑顔を作っている気がします。私は笑顔だけでなく、「お客さんと仲良くなりたい、相手を知りたい」という気持ちで接客しています。正直、接客は笑顔でいれば大丈夫、と思っていた部分があったので、相手を知りたいという気持ちでの接客には自負がありました。しかし、どんなに短い時間でも人と人が接しているのだから、そう思って接するのが当たり前であると思い直しました。
「利用者主体」が当たり前で、特に福祉の仕事では、一人の人同士が長い時間接するので、人と人が接するなら当たり前にある喜怒哀楽、相手を知ろうとする気持ちが大事だと分かりました。
初めてコメントさせて頂きます。
確かに、私もサービスを提供する側の過剰な笑顔にはぐったりするという経験をした事があります。それは、笑顔が機械的であるというだけではなくて、その笑顔に応えようとしてしまう利用者側の気持ちも少なからずあるのだと思います。逆に、私がバイトで接客業をする立場でお客様と接する時は、どうしても“笑顔”を要求されます。常に楽しく仕事を出来て、自然と笑顔が出るというのが一番良いのでしょうが、そううまくはいきません。だから、ある程度笑顔が機械的になったりしてしまうのも仕方ない部分もあるとは思います。
しかし、特に福祉の場面では、そのような機械的で強制されたようなものは確かに不必要だと思いました。喜怒哀楽を前面に出してしまうのも良くないと思いますが、少しくらい怒ったり、悲しんだりする方が人間的で、生活に密接したサービスを提供する福祉においては、それが必要なものであり、利用者の方が望まれることのように思います。
はじめまして、コメントさせていただきます。
拝見させていただき、大変興味深く思いました。私もよく、笑顔はとても大切なことだなと感じることがあります。
私はよく、笑顔でいることに気をつけています。実際に初対面の方や目上の方などと接するときに、相手が笑顔で接してきてくださると、こちらもとても気持ちよく接することができます。
しかしそれは、強迫的な笑顔ではなく、自分から相手に対する気持ちのあらわれであり、そういった相手のことを思いやる笑顔、心からの笑顔がとても大切であり、私自身も心がけています。
よくコンビニなどで笑顔をもらいますが、それは私から見た感じは強迫的には見えません、しかし、強迫的な笑顔というのは自分自身の問題であり、自分自身が気持ちよくないものです。
やっぱり人生は一度しかありませんし、気持ちのよい人生を歩みたいと思います。周りの方だけでなく、自分自身のために「良い笑顔」をこれからも心がけて行きたいと再確認させていただけた内容でした。
長文失礼いたしました。
ブログを読ませていただきました。
お店に入るとどことなく不自然な笑顔で接客をしてくれる店員が頭に浮かび、思わずうなずいてしまいました。また自分がアルバイトの説明に行った時も、上司の方が「お客様は第一なので、とにかく愛想良く、笑顔で接しなさい。」と何度も言っていたのを思い出しました。でもこれが「利用者主体」の笑顔になるのかはいささか疑問です。
こんな表面上の笑顔ではお客様も満足はしないだろうし、逆に提供者も気を使いすぎて疲れてしまうと思います。これは非常に効率が悪いです。提供者はやはりある程度の笑顔は必要ですが、それは不自然に作る笑顔でなく、自然に溢れ出る自然体の笑顔で良いのです。それが一番お客様に喜んでいただけるだろうし、「利用者主体」であると同時に「サービス提供者主体」の構造なのかなと感じました。
自分も今やっているアルバイトでのお客様への接し方というものを今一度考えていきます。
福祉の世界で「強制的な笑顔」は不要。私も同感です。福祉は特に人と人との密接な関わりがあるので、片方が作られた感情でしか相手に接しないのであれば、自然と表面的な人間関係にしかなりえないと思います。
確かに商品やサービスのやり取りで、仏頂面されるより笑顔の方が客の気分がよいのは当然ですし、ある程度強制されなければ笑顔はすぐ消えてしまうものでしょう。仕事は大変で、嫌な事がないということは滅多にないですから。
しかし福祉の世界では、人と人の人生どうしがかなり重なります。ですから表面的な感情で接していると双方にかなりの負担がかかるのではないでしょうか。むしろお互いが人間らしく接することが何よりもよいサービスに成り得ると思います。
初めてコメントをさせていただきます。
ブログを読み、「笑顔」というものは、果たしてこのようなものだったかと考えてしまいました。
確かに、笑顔にさせられてしまう事はあります。
それは可笑しかったから、楽しかったから等、言わば自然に笑顔になってしまっていた、といった感じではないでしょうか。
けれども、ブログの中で書かれている笑顔というものは、「脅迫的な笑顔」と表現されてしまうほど不自然な笑顔であるわけです。
笑顔にさせられるのではなく、笑顔を作らされてしまっているのです。
人対人にそのような笑顔は必要ありません。
自然な笑顔だけがある仕事や職場、環境になってほしいです。
ブログを拝見させていただきました。
わたしは塾講師のアルバイトをしています。
塾講師のアルバイトの面接の際、「塾もサービス業です」と上司に言われました。しかし、実際に働いてみると宿題を忘れた生徒や真面目に勉強に取り組まない生徒には、真摯な態度をとらなくてはいけません。(ただニコニコしているだけではいけないのです。)
また、学校の教諭もいわゆるサービス業ではないかと、わたしは思います。ファーストフード店やファミリーレストランのようにひたすらニコニコと笑顔の押し売りをし、何があっても「ありがとうございます」を忘れない職業は、人と人との関わりが短時間でとても浅い付き合いであると思います。
そのような職業を批判しているわけではありません。大事な職業のひとつだと思います。しかし、人と人とがふれあう機会が多く、深い関係を築かなくてはいけない職業はただニコニコしているだけではいけないのです。そして、福祉の仕事も人と人とがふれあいを持つあたたかい仕事だと思います。だから、わたしも宗澤先生のおっしゃられた「強迫的な笑顔」は福祉には不必要だと思います。
私は、今電話オペレーターのアルバイトをしています。私のアルバイトは、面と向かってではなく電話を通じて、お客様に対応する仕事なので、実際に笑顔をお客様に向けることは出来ませんが、電話ごしに「強迫的な笑顔」をしているなぁと、宗澤先生のこの記事を読んで思いました。たまに、お客様からクレームの電話を頂くこともあります。
私は、まだこのアルバイトを始めて間もないので、なかなかクレームの電話に上手く対応することが出来ませんが、アルバイト先の方には、「お客様がなんでクレームの電話をかけてくるのか、お客様の気持ちをくみとることが必要」だと教えられました。
これは、宗澤先生の「喜怒哀楽をともにする中で、より良いサービスがつくられる」という言葉に通じるなぁと思いました。実際、電話応対の最後に、お客様から「ありがとう」と嬉しそうな声で言ってもらえると、私まで嬉しくなります。
サービスを提供する側だけの一方的な笑顔(強迫的な笑顔)ではなく、利用する側との相互的な笑顔がサービス業にしても、福祉の場にしても必要だと思います。
確かに「強迫的な笑顔」というのは、笑顔をするサービス提供者も辛いし、その笑顔をみて作られたものだとわかった利用者も良い気持ちにはならないと思いました。
しかし、どちらも満足する関係をつくるには、まず笑顔やあいさつはなければならないものだと思います。
サービス業というのは多くの方が初対面で、相手との一瞬一瞬の時間が大切なものになっています。自分がサービスを受ける側でも、サービスを提供する方々の笑顔があるからこそ、こちらも笑顔で自然に接することができるのだなと日々感じております。
しかし、その笑顔がどちらとも人間らしいものかというと、必ずしもそうであるとはいえないのです。
福祉の仕事のように生活に密着したお仕事だけでなくどんなお仕事でも、人と人との間に自然と笑顔のうまれるサービスが提供できる社会になればよいなと思います。
ブログ拝見させていただきました。
自分はサービスを受ける側としては何も感じないのですが、サービス提供者側としては少し「強迫的な笑顔」を感じています。
こちらが少し無理を言ってもいやな顔一つ見せずに店員さんが笑顔で要望にこたえてくれる。これについては、むしろそこまでしてくれる店員さんの内面を疑うのは申し訳ないという気持ちからか、それほど強迫といったイメージは自分から感じ取ることはありません。
しかし、いざ自分が店員になって多少無理な要望を聞いていると、いくら笑顔になっても内面イライラしていることを読みとられているのではないかと気になってしまい、そんなときに「強迫的な笑顔」を自分がしてるように感じます。
「強迫的な笑顔」を本当に読みとられてるならば、いっそお互いに喜怒哀楽を表面に出す方が、自分もサービスは向上していくと思います。しかし、そうすることで受ける損害が自分にだけ振りかかるわけではないということが、この問題をことさらに難しくしているような気がします。
私も福祉の仕事や職場には「強迫的な笑顔」は不必要だと思う。「福祉の仕事は、喜怒哀楽のある暮らしの中での支援」とあるが、全くその通りで、例えば保育所は子どもたちの喜怒哀楽であふれた職場である。
もしも、サービスの提供者である保育士が子どもたちに対して喜怒哀楽のない「強迫的な笑顔」で接していたら、子どもたちは安心して自分の感情を表現することができなくなってしまうだろう。それでは利用者である子ども主体のサービスとはとても言えない。
しかし、保育士が子どもたちと喜怒哀楽を共有できたら、またそれをきちんと受け止め、適切な支援ができたら、それは良い保育、良いサービスなのではないかと考える。
福祉の現場は、人間味あふれるべき場であり「強迫的な笑顔をふりまく」場ではないのだ。
私も福祉の仕事や職場に「脅迫的な笑顔」は不必要という意見に同感です。34
私が今年度の4月から始めたアルバイトは居酒屋で、初めはキッチンスタッフであったため「いっらっしゃいませ」等の声だけでお客様と触れ合うことはなかったが、最近になりホールにもでるようになって、お客様と触れ合う時「笑顔」がないと上司に注意され、無理に笑顔を作ることがある。
私が客として飲食店に行ったとき、機械的な対応や作った笑顔で対応されたとき、何か違和感を覚えるように上司に注意され作った私の笑顔は不必要であると思います。
以上に述べたように福祉の職場でもサービス業の職場でも「作った笑顔(脅迫的な笑顔)」は不必要であると私は考える。
表向きには『利用者主体』を謳っていても、やはり営利を目的とする以上、サービスの『提供者主体』になっているのかもしれません。やや意味はズレるかもしれませんが、慇懃無礼という四字熟語が示すように行き過ぎるとかえってよくないということも往々にしてあるのだと思います。『利用者主体』にしたいという『提供者主体』になっているように感じました。過度な振る舞い、提供者のエゴで我々、利用者が主体になることを強いられているとも考えられます。本当に『利用者』を中心とした経営や営業を行いたいと思うのなら、目に見える対応ももちろん大切ですが、ちょっとした気配りのように『利用者』目線の考え方がより重要なのではないかと思います。
なかなか面白いところに着目しているなぁと思いました。私は現在サービス業のアルバイトをしているのですが、やはり笑顔でお客様を迎えることが当たり前となっています。ただ、笑顔を作ることが必ずしも悪いことばかりではないと思います。
もし、店員が素のままの表情でいたら、私はその店員に対して良い印象は持ちません。その一方で、素敵な笑顔の店員には自分の思いを伝えやすい気がします。私は笑顔がコミュニケーションを円滑にする手助けとして、大きな役目を持ってくれると思います。
「利用者主体」が達成されると同時に、サービスを提供する側も同じ視点にたつということであるが、福祉がサービス業化するのは、広く一般との関わりを生じさせ、福祉の幅が広がる点で良いが、一方で、サービスの形態が「業務」として一方通行になる。福祉は本来、する側とされる側の相互のつながりの中で生まれていくものだが、結果として、一面的なものになってしまうのである。また、本稿の論点は、接客の際の笑顔に本当に意味はあるのか、人を満足させるための笑顔が本当にそのために役立っているのかということである。
日本語には、「無愛想」という言葉があるように、笑顔で人に接することができない人にはネガティブなイメージがあるとされ、人間と関わり、感情に対して生産的であるサービス業の運営に支障をきたす。それは、無愛想な店員のいる店には行きたくない、と考える人もいるように、無愛想の文化をサービス業に持ち込むと、結果として、客足の減少、売り上げの低下がおき、損失につながるのである。しかし、一方で無理な笑顔は、やっている側の人間をも疲弊させてしまう。サービス業における笑顔はあくまで副次的なもので、メインとなるのは人と人との交流であるが、サービス業全般に喜怒哀楽を伴わせれば、産業としてのサービス業が成り立たなくなる。喜怒哀楽を伴わせるならば、長期的なアプローチをする福祉と、わずか数十秒の接客は分けられるべきであり、後者に対しては妥協案として笑顔がとられることもあって良いのである。
記事は「強迫的な笑顔」についてだったが私はサービス業における行動の多くが「強迫的なもの」であると思う。私は、アルバイトで接客をしているが何かあればすぐ「申し訳ございません」と謝罪している。研修時には『申し訳なさそうな顔をしなさい』と言われた。つまり自分が悪くないと思っても演技をするよう言われたのだ。他にも「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」これらは接客用語としてセリフと化している。これも笑顔と同じように感情のかけらもない「強迫的な」ものではないだろうか。
初めまして。大変興味深い記事ですね。
飲食業において、「笑顔」は一番と言っていいほど大事な要素であると私は考えます。私は現在飲食店でアルバイトをしておりますが、そこでもやはり「どんな時でも明るい笑顔」でいることが絶対条件です。アルバイト先の女将さんも、こう語っていました。「たとえ裏でどんなにバイトの人を怒っても、後ろを振り返って表をむけば、お客様のために笑顔に戻らないとでしょ?どんなに忙しくても疲れている顔を表には決して見せず、お客様が気持ちよく食事をして帰ってもらえるように私たちは頑張るの。このストレスは相当だよ」私はこの言葉を聞いてなるほどと思って、まだ新人ですが頑張っています。
記事にあるように、たしかにこれはおかしな強迫的な「笑顔」かもしれません。しかし、無理にでも笑顔でいることが、お客様の笑顔をみることができる前提だと私は考えます。お客様の笑顔をみて、初めて心から頑張ってよかったと笑えることもあります。最初はマニュアル通りに行動することだけでいっぱいいっぱいかもしれません。そのため、まるでロボットのように人と接することもあるかもしれません。ですが、だんだん人と接する中で「本当の笑顔」を学べる、と私は考えます。福祉の業界では長期的な暮らしの中での人との関わりなので、短い時間での接客を大切にする飲食業とでは「笑顔」の大切さの重要度も変わってくるのではないでしょうか。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。