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梶川義人の「虐待相談の現場から」

私のなかの天使と悪魔

 対人援助職がクライエントに見せる顔と、家族にみせる顔には違いがあるのでしょうか。そして、違うとしたら、それらをどう切り替えているのでしょうか。私の場合は、「外面ばかり良いのだから」と、よく家族のひんしゅくを買っていますから、全く異なる顔をしているようです。

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 私はソーシャルワークを専門にしていますが、対人援助の仕事は多く、「芸」に例えられると思います。そして、クライエントとの面接に臨むときには、芸人モードのスイッチが入り、家族と過ごすときは、芸人モードのスイッチはオフになっています。

 私は、内面が極端に悪いので、「外面ばかり良くて…」になるのでしょうが、家族と接するときにも、芸人モードのスイッチを入れるとどうなるのでしょうか。

 私の場合は、一時的にならできますが、まったくもって長続きはしません。生理的に難しいというか、感情が先に立ってしまいます。とにかく、「イラっ」としたり「ムカっ」としたりすることの制御ができなくなるのです。

 たとえば、妻にパソコン操作を教えるときなど、同じことを二度聞かれようものなら、「一体、何度言えば分かるんだ!」とすぐキレてしまいます。柔らかな物腰と身体的特徴から、よくお坊さんに間違われるのが、信じられないほど攻撃的になります。

 冷静に考えれば、全く怒るほどのことはありませんし、相手が第三者なら、何度聞かれたって、愛想良く教えてあげられるのに、一体どうしたことなのでしょう。

 おそらく、私は、プライベートな生活では、家族と一緒(共有中心の立脚点)にいることで満たされたり、一人で(自己中心の立脚点にいて)好きなことをやって楽しんだりしながら、いわばパワーのようなものを溜めているのだと思います。そして、仕事でクライエントと接する時は、溜めたパワーを使って、共感中心や客観中心の立脚点に立とうとしているわけです。

 つまり、公私にわたって共感中心や客観中心立脚点に立ち続けられないため、こうしたことになるのではないでしょうか。もし、そうであるなら、私は、家族によほど感謝しないといけません。

 もちろん、公私ともに同じような顔をしている人もいると思います。しかし、こうした人であっても、次の4つの立脚点のいずれかにいることが多いのかにより、個性は出てくる気がします。

 つまり、唯我独尊の自己中心タイプ、仲間や家族との共有中心の「絆」重視タイプ、客観中心の客観主義タイプ、共感中心の博愛タイプといった具合です。

 もっとも、私は、子どもの頃から、何かにつけて極端で、中庸が取れずにきましたから、これも考え合わせると、私のなかには、自己中心タイプと博愛タイプのように、およそ相容れないタイプが混在しているのかもしれません。まさに、天使と悪魔が宿るジキルとハイドのように。

 図らずも、自己分析のような内容になってしまいましたが、何だか自分が「面倒くさい」人物のように思えてきました。


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プロフィール
梶川義人
(かじかわ よしと)
(仮称)日本虐待防止研究・研修センター開設準備室長、淑徳短期大学兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。
著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
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