敬老週間に思う
敬老の日は、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日です。そして、9月15日の老人の日から21日までの1週間は老人週間です。こちらは、老人福祉法により、「老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す」こととされています。
私は以前から、この時期になると決まって、「敬愛される人ばかりではなかろうし、医療や介護の問題もある。そもそも、祝ってくれる人がおらず、孤独・孤立な人もさぞ多かろう」という思いを抱いてきました。
進まない高齢者の雇用促進、先行き不透明な年金制度、遅れるバリアフリー化など問題山積なのに「生活の向上に努める意欲を促す」というのは如何なものか、という気持ちもあります。
長く高齢者福祉を生業にしてきたせいか、サクセスフル・エイジング(successful aging;適訳はないのですが、「幸福な老い」といったほどの意味)とは程遠いと、つい悲観的になるのかもしれません。
総務省がまとめた9月15日時点の人口推計によれば、65歳以上の高齢者は3,186万人で、総人口に占める割合が世界最高水準の25%に達しました。
4人に1人は高齢者という時代を迎えたのに、人々のサクセスフル・エイジングが担保された社会のグランドデザインが見えてこないことに、私の悲観はさらに強まります。
人、物、金、情報と、多角的に社会のあり方を見直すわけですから、議論が一朝一夕に収斂するとは思いません。ヘーゲルの弁証法のように、簡単には正・反・合とはいかないでしょう。しかし、私は、「老人力」と「若年力」が、互いにバランスをとるように作用する社会であって欲しいと願います。
ちなみに、「老人力」とは、1990年代末、芥川賞作家の赤瀬川原平氏による『老人力』(筑摩書房、1998年)がベスセラーとなり流行った言葉です。自由国民社の流行語大賞トップテン賞にもなりました。文字通り、年を取るほどに身につけていく力を意味し、「物忘れをするのは、警戒心を解いて新しいものを取り入れるのに必要なことだ。だから、忘れっぽくなることは「老人力」がついた証拠である」などと理屈づけされます。この体でいけば、年を取って足元がおぼつかないのは、スローライフを送る力を得たことになります。
これに対し、「若年力」とは私の造語で、老人力とは真逆の力を意味します。たとえば、「若気の至り」は、若いからこなせる業であり、無茶を行える力があると考えます。
そして、これら老人力と若年力が、道教の陰陽太極図(下図)の陰と陽のように、互いに変化してバランスをとって社会を動かしているようだと良いのでないかと思うわけです。
道教の陰陽太極図
ひねくれた考え方かもしれませんが、多様な価値観の下で、多様な生老病死のあり方が認められ、単一の価値観に縛られるよりは、ずっと暮らしやすい社会になるような気がします。
コメント
梶川先生のブログを楽しく拝見させていただいております。
私は、福祉関係の仕事に携わっていますが、梶川先生のブログは内容が濃く、とても勉強になります。
先生は講演会も行っているということをお伺いしたのですが、一般向けの講演会とかも行っているのでしょうか?
私は茨城県在住ですが、近辺で講演会のご予定とかはありますでしょうか?
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