悪貨は良貨を駆逐する
今回のタイトルは、金本位体制の経済法則のひとつグレシャムの法則です。名目価値が同じで、金の含有量の多少など、実質価値が異なる貨幣が同時に流通すると、実質価値の高い良貨はしまい込まれて市場から消え、実質価値の低い悪貨だけが出回るという法則です。
さまざまに転用される言葉ですが、福祉サービスにもあてはまりそうで、怖い気がします。指定や監査の基準を満たすことを名目価値、サービスの良し悪しを実質価値とすると、より悪いサービスを提供する悪貨事業者だらけになるというのですから。
指定や監査の基準を満たすのは当然ですが、これは、いわば「当たり前」の水準といえます。「良貨事業者」は、当たり前の水準を超えて、より良いケアを追求しようとします。相当な努力や能力が必要になりますから、良貨事業者になりたくてもなれないことだってあります。すると、「指定や監査さえとおればよい。より良いケアまでも追求する必要はない」と考える事業者が出てきます。当たり前の水準を維持するだけということです。また、儲かりさえすれば指定や監査の基準の違反も辞さない事業者も出できます。こちらは、もはや「悪貨」ではなく「悪徳」ですが。いずれにせよ、悪貨事業者や悪徳事業者は必然的に出現してきます。
従事者による虐待との関連で注目したいのは、悪貨事業者になることは、虐待の発生予防力を弱め、自ら虐待発生に近づいていくに等しいという点です。なぜなら、養介護の現場は、もともと虐待好発の構図が整いやすいため、発生予防に努めねばならないのですが、より良いケアの追求は、まさに発生予防策そのものだからです。自ら考え自ら改善・改革を行っていくことで、虐待の発生を防ぐわけです。しかし、悪貨事業者はこの部分が脆弱なので、発火しやすいガソリンを雑に取り扱うのに等しい状態に陥りかねません。
また、行政による指定や監査の制度には、「経営が破綻しないように微に入り細に入り教えてあげる」という側面があることも見逃せません。気をつけていないと、事業者の自律性が知らないうちに萎える危険があるからです。なにしろ、設備や人員や会計の基準、介護報酬、標準的な様式など、経営ノウハウの全てを原則無料で教えてくれるのですから。より良いケアの追求には、事業者の自律性は必要不可欠なのに、自律性が損なわれるというのでは話になりません。
したがって、悪貨が良貨を駆逐する事態を避けるために、事業者の自律性を強化し、自律的経営を促すような創意工夫が必要になると思います。良貨事業者を増やすなら「今でしょ!」です。大袈裟なことは、人も物もお金もかかりますから難しいでしょう。しかし、「日本の老人ホームではどこでも、より良いケアを目指して、必ず年一回のポスターセッションが行われている」というように、廉価なわりに効果が大きく、可能性がなきにしもあらずなことは、ついつい実現を夢見てしまいます。
とにもかくにも、良貨的事業者が多くなれば、彼らは、福祉サービスが契約に基いて提供される社会システムに、ドラッガーのいうイノベーション(新たな価値の創造)をもたらしてくれるように思います。そして、縦糸だけが強い上意下達ではなく、縦糸と横糸が共にバランスされたメッシュ(網)のような次世代の社会システムの姿が見えてくるような気がします。
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