人を形成する「出会い」
自慢できる話ではありませんが、深酒をしてどのように帰宅したのか覚えがないような時でも、靴は玄関に揃えて脱いであります。そのたびに「三つ子の魂百まで」とはよくいったものだと感心します。
母方の祖父は厳格な人で、とりわけ履物の脱ぎ方や揃え方には厳しかったのです。トイレにはスリッパの形にテープが貼られ、その枠から少しでもはみ出していると注意されました。おかげで今でも、玄関に靴が脱ぎ散らかしてあると気持ちが落ち着きません。
祖母は日々の暮らし方、たとえば掃除や台所仕事の手順から、だしの取り方やぬか床の作り方までノートに書き留め、成人の祝いにと贈ってくれました。
その1ページ目には「若いからと甘えてはいけない。若いからと侮られてはいけない」と書かれてあったのです。「若い」を「女だから」や「新人だから」に置き換えて自分自身に言い聞かせてきました。お金も時間もやりくりし、手間をかけてだしをとる祖母に、どうしてそこまでするのか尋ねたことがあります。
「ひと手間かけるとおいしさが違う。家族においしいものを食べてもらいたい。手を抜いても、もしかしたら誰も気がつかないかもしれない。でも手を抜いたことを私は知っているし、お天道様は見ているでしょうからね」と祖母は答えました。それは妻、母、人間としての矜り(ホコリ)だったのでしょう。平凡で慎ましい暮らしの中に喜びを見出し感謝して生きる祖母の姿は、凛としていました。
一方で、私が寝つくまで語り聞かせをしてくれた祖母は、意外にお茶目だったのです。創作物語は奇想天外で色気があって、二人でいつまでもクスクス、ゲラゲラと笑った記憶があります。
その祖母は、私が成人した翌年に亡くなりました。今思えば、介護の仕事に就いたのは必然だったのかもしれません。どんな環境でどんな幼年期、思春期を送り、どのような職業に就き、どのような先輩に出会い、どのような人たちに出会ってきたかということは、今の私を形づくる大きな要素です。だから、介護を必要とするその人を知ろうと思えば、今に至るまでの歴史を知りたいと思うのが自然です。その希求心は介護に携わる人にも向けられます。
ある施設を訪問したときのこと。服の着替えをしている場面で、介助を受けているお年寄りの姿勢は不安定で、見るからに不安そうな表情をされていました。思わず、介助者に「せめて足を床に着け、利き手でどこかにつかまってもらったらどうでしょう」と提案したのです。
すると返ってきた言葉が「上司に言ってください」。「はぁ?!」…言われたこと以外はしないことにしている、とのことだったのです。彼の考え方や行動には理由も原因もあるにせよ、腹が立つより情けなく悲しかったです。彼はどこでどんな人たちに出会い、今ここに至っているのでしょうか。
「ねぇ、たとえば、この人と一緒に働きたいとか、この人のためなら労苦を厭わないというような出会いの経験はないの? そうか、ないのか。じゃあ、私は幸せですね」
…というわけで、改めて皆さまに感謝します。
(下山名月)
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