私の活動する理由
あけましておめでとうございます。
昨年5月から書き始め半年ほど経ちました。今年も引き続きよろしくお願いいたします。
年が明けて最初のブログでは、私自身がなぜ監獄人権センターの活動にかかわるようになったのかということ、そして、このような活動に夢中になって取り組んできたその思いなどについて綴ってみようと思います。
私が刑務所や受刑者の問題に出会ったのは大学生の頃、刑事政策に関するゼミに参加したことや、知り合いから監獄人権センターを紹介され、ボランティアとして参加したことがきっかけでした。実はゼミの担当教授が監獄人権センターの副代表だったのですが、そのことは、ゼミに入った後に知りました。
監獄人権センターでボランティアをする前には、まず会議に参加させてもらいました。それまでの日常生活ではおよそ触れられないテーマや専門的な用語が飛び交っていて、すぐには理解できなかったのを覚えています。当時、刑務所の状況を把握できていたわけでもなく、素直に「どうして受刑者を支援するの?」と質問するところからスタートしました。
もちろん、法学部で法律を勉強していたので、法律で禁止されていることを認識した上でその行為を行った場合に、刑法などに書かれている範囲で罰せられるということは理解していましたが、多くの人がそうであるように、私にとっても受刑者は身近な存在ではなかったので、なんとなく「怖い人」というイメージを持っていました。
でも、監獄人権センターと出会い、日本だけではなく世界の刑事政策にもふれ、受刑者とはどのような存在で、どのように処遇すべきと考えられているのかということを、少しずつ知るようになりました。
そして、実際に受刑者からの手紙を読んだり、ときには面会をしたりと関わりを持つうちに、意外と普通の人が多いなと思うようになりました。
普通の人といっても、何をもって普通の人というのかということもありますが、気が弱いのに強がってしまう人や、自分の思いを他人うまく伝えられない人、ちょっとばかり性格が悪い人、周りと折り合いをつけることができずに心の病を患ってしまった人など、自分自身も時にはそうなるかもしれない、私の周りにもいるかなと思うような人がたくさんいたということです。
刑務所に入ってしまった人とそうでない人、いったい何が違うのかな?といろいろ考えましたが、大きく違う点は、自分を支えてくれる人、自分を見てくれる人がいるかいないかということではないかなと思いました。
今でもよく覚えている手紙があります。
その受刑者からの手紙は、規則で決まっていることについて「これはおかしいのではないか」という内容の相談でした。確かにそれは、私たちが見てもおかしいと思えるものでした。しかし、規則で決まってしまっているものであり、簡単に解決策を示すことはできません。返事は出しましたが、要求には応えきれませんでした。
後日、その受刑者から手紙が届き、そこには、「今までどこからも返事をもらえなかったが、初めて返事をもうことができた。今までは、自分の置かれている状況を嘆いてばかりいたが、これからの残りの刑期は自分の犯した罪をしっかり見つめ、頑張っていきたい」と、お礼の言葉と気持ちが綴られていました。
監獄人権センターは、手紙を通してしか支援することはできませんし、すべて受刑者の皆さんの望むような解決もできませんが、届いた手紙には必ず返事を書いて、「あなたのことを見ている人もいますよ」というメッセージを送っています。
支援する人と支援される人が1対1で支えるのは大変ですが、たくさんの人が関わって、少しずつできることを分担すれば、より多くの人がこの社会でなんとか暮らしていかれるのではないでしょうか。
コメント
秋山さんのこのブログをいつも興味深く読ませていただいています。今回、コメントを書きたい!と心を強く動かされ、初めて投稿します。
受刑者さんからの手紙で訴えられた問題を解決はできなかったけれど、返事を出したことで、(ただそれだけのことが)その人の心に届き、前向きになれるきっかけになったんですね。
逆にそれまで手紙を出してもどこからも返事をもらえなかった間、その人はどんなに淋しく冷え冷えとした心になっていただろうと思います。
人との心の結びつきって本当に大切なんだなと感じました。
こういう結びつきで誰かを支えることができるのなら、私にもできるかもしれない、やってみたいと思いました。
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