ミュージカル「シカゴ」
私のブログではたびたびミュージカルの感想を書いていますが、ミュージカルを観に行くことは私の趣味であり、息抜きの一つでもあります。
先日は、ブロードウェイミュージカルの来日公演、シカゴを観てきました。
シカゴの初演は1975年、ミュージカルの演出では有名なボブ・フォッシーの作品で、2002年には映画化もされています。舞台は1920年代のシカゴですが、ストーリーは今にも十分に通じるものです。
2005年の来日公演も観に行ったのですが、そのときは、単純に、無罪を勝ち取りたい二人の女性の被告人の話だと思って観ていました。
でも、今回あらためて観たところ、なかなか深い話であることに気がつきました。
話はシカゴのプリズンの中と法廷での場面を中心に展開していきます。
主人公のロキシーとヴェルマは二人とも殺人の罪に問われているのですが、看守に賄賂を渡して敏腕弁護士を紹介してもらい、無罪を勝ち取ろうとします。
この弁護士はとても高額な弁護報酬を請求し、終始「金さえ出せば無罪にしてやる」という態度で弁護方針をたてていきます。
世論の同情を集めるための記事を書いてもらおうと彼が連れてきた女性記者は、なかなか良い人物に描かれていました。
「人は見かけでは判断してはいけない、事件を起こした背景には自分では解決できないような事情があるのです」と歌い上げます。
この女性記者役の方は、ソプラノで歌っていて、最後にカツラをはずすのですが、実は男性だったのです…。とても驚きました。
シカゴには、主人公たち以外にも、死刑囚が何人かでてきます。殺人を正当化することはできませんが、今で言うドメスティック・バイオレンスの果ての夫殺害など、みんなそれぞれ不幸な事情を抱えています。
途中、一人の死刑囚が処刑されます。
彼女はハンガリー人で英語が話せず、無罪を主張していましたが、お金がなく、あまりやる気のない国選弁護士しかつかず、有罪で死刑になりました。
一方で、大金を払って私選弁護士を依頼したロキシーとヴェルマは、無罪を勝ち取ることができました。
皮肉ですね。貧富の差によって、こんなにも差が出るということでしょうか…。
もちろん、一生懸命弁護活動をした弁護士がいけないといいたいのではありません。でも、これがアメリカの現実で、今の時代でも十分にありえそうな話だと思いました。
現在、裁判員制度が始まった日本では、とにかくわかりやすく裁判をすすめるというところに力が注がれています。
この傾向をみていると、プレゼンテーション能力の高い弁護士とそうでない弁護士との間で、判決に差がでてしまうのではないか?日本もそのうちに「シカゴ」のようなことが起こるのではないか?と心配になりました。
ちなみに、私がミュージカルの感想を載せる時は、毎回、刑務所や社会問題に関するミュージカルの感想ばかり書いていますが、そのような内容のものばかりを見ているわけではありません。刑務所に全く関係のないものも見に行ったりしています。
今後も、気になる作品や過去に見た作品などを紹介していきたいと思います。
コメント
こんにちは。そういえば「ショーシャンクの空に」という映画で、刑務所内にいて「俺は無実だ」というセリフを、英語では「弁護士にハメられた」と言っていたのを思い出しました。
その時には「弁護士もいろいろ言われて大変だ」と思ったんですが、本当にひどい弁護士もたくさんいるんでしょうね。
まくらしゃさん
弁護士も、被告人を貶めようとして弁護活動をする人はさすがにいないと思いますが、国選弁護は報酬額が十分でないため、無罪を主張しているケースでは、弁護士は頑張れば頑張るほど、自分のお金を持ち出すことになってしまうという問題があります。決して悪気はないのでしょうが、最低限の弁護活動になってしまうこともあるのでしょうね。
また、話がうまい人、うまくない人、勢いがある人、そうでない人で結果に差が出てきてしまうなんてことがなければ良いのですが、、、
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