釜ヶ崎で出会った3つの団体 その2「紙芝居劇むすび」
先週、ストリートワイズ・オペラを紹介しました。大阪では、そのストリートワイズ・オペラによる、釜ヶ崎の「紙芝居劇むすび」(「むすび」と呼ばれています)の皆さんとのワークショップに参加させていただきました。また、むすびとのワークショップ以外にもワークショップリーダー養成のためのワークショップも行われ、そちらにも参加してきました。
「紙芝居劇むすび」の存在
「紙芝居劇むすび」は、前身の紙芝居劇のグループを経て、2005年から活動を始めました。現在、紙芝居劇を制作しながら、保育園やさまざまなイベントで上演しています。
「紙芝居劇」というのは、通常の紙芝居を上演するのではなく、複数の人が紙芝居の登場人物の役を演じる劇。たとえばアヒル役の人は、アヒルの人形を持って歩いたりするのです。
「紙芝居劇むすび」は、2007年にロンドン公演も果たしました。
「むすび」の参加者たちは、さまざまな経緯を経て釜ヶ崎にたどり着いた方々です。日雇労働をしていた人、別の地域で野宿をしていた人など…。
その昔、大阪の港は貨物船でにぎわっていて、多くの人がその荷物の積み下ろし作業をしていました。今でこそ、何トンもある荷物はコンテナで運ばれ、積み下ろしの作業は機械化されていますが、当時はみんな手作業で行われており、熟練した職人になるために、5年はかかったそうです。
それが、作業の機械化とともに多くの人が職を失うことになったのです。
また高度経済成長期、大阪では万博が開かれ、関連施設の建設に従事する労働者もたくさん集まってきました。その労働者達の多くは、万博後も日雇い労働に従事していましたが、90年代の不況によって失業し、やがて住むところを失っていったのです。
(参考文献:こたね制作委員会編『こころのたねとして 記憶と社会をつなぐアートプロジェクト 第2版』2009年)
日雇い労働者で町があふれかえっていた釜ヶ崎には、たくさんの簡易宿泊所(「ドヤ」ともいわれています)が建設されましたが、それらは現在、外国人向けの格安ホテルや福祉マンションに姿を変えています。
福祉マンションといっても、写真で見たところ、部屋は3畳ほどで布団とテレビと小さな窓がついているだけ。とても一日中その部屋で過ごすことはできないような場所です。
そんな場所に多くの人が寝泊まりしています。
今、釜ヶ崎全体は高齢化しています。「むすび」のリーダーAさんは81歳。阪神タイガース大ファンのSさんは90歳。
それでも、「むすび」に参加している方々は生き生きしています。Aさんはみんなを引っ張って楽しみながら活動しています。Sさんは「紙芝居劇団に参加するようになって、顔がつやつや、元気になってきた」と、みんなが口をそろえて言います。
ワークショップを経て
今回のワークショップで「むすび」は、2日間かけて新作の紙芝居劇のテーマソングと簡単な振りつきのオペラの曲、計2曲を完成させました。
ワークショップは、まずは、自己紹介と体をほぐすための簡単なゲームから始まり、その後、事前に作ってあった詩に曲をつけました。
イギリスから来日したワークショップリーダーが、アイスブレイクとなる発声や準備体操をかねたちょっとした動き、声を出すゲームなどを教えてくれました。
体と喉のウォーミングアップが終わったころ、ピアノを弾き、参加者と一緒に「こんな感じかな、いや、ちょっとイメージが違う」と言い合いながら作曲をしました。
曲が完成した後は、振り付けを考えましたが、「むすび」のリーダーのAさんをはじめとして、皆さんが歌詞にあわせて色々なアイディアを出すことで、テーマソングもオペラの曲も完成させることができました。
ワークショップで作った新作紙芝居劇のテーマソングは、ノスタルジックな曲で、何度もみんなで歌い、踊りました。
そして、8月31日に開催された「水都大阪2009」の中のイベント「アートのくねくね道」で紙芝居劇とワークショップで練習したオペラの曲を披露しました。
ふるさとは あの山の向こう
頑張って働いてここまできたよ
気がつけば目の前にある道も懐かしい道になった
いつか帰ろうふるさとへ
(著作権の問題もあるので、歌詞はイメージです)
むすびの方たちは皆、事情があってふるさとを出てきた人ばかり。ステージで披露すると、自然と涙を流が流れてくるようでした。
当日は、私も応援でステージにあがらせてもらい、ほかの参加者とともに歌い、踊ってきました。
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